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高野連紹介
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昭和 21年8月15日、終戦から1年目、第28回全国中学優勝野球大会が西宮球場で復活し、その予選が宮崎県でも7月8日から行なわれ、宮崎工、宮崎商、妻中、宮崎中、都城中、飫肥中、高鍋中、延岡中、延岡商工の9チームが参加し、宮崎中チームが優勝したが、南九州大会で鹿児島商業に4対3で惜敗し、甲子園出場はならなかった。これが宮崎県野球復活の最初であった。
昭和22年10月30日、従来有名無実であった連盟を改組し、新構想による中等野球連盟(現高校野球連盟)を結成した。
翌23年、学制改革により高等学校野球大会となった。
昭和29年の夏の東九州大会において高鍋高校が大分商業に4対0で勝ち、大正4年から、実に40年目にして県民悲願の甲子園初出場を果たした。
全国大会では、昭和39年に宮崎商業高校、40年に高鍋高校が夏の大会でベスト4、昭和59年に都城高校がセンバツでベスト4になった。平成25年延岡学園高校が準優勝したのが最高である。
「深紅、紫紺の優勝旗を一日も早く宮崎に」を合言葉に宮崎県高校野球連盟では各校の健闘に期待し、企画・運営に当たっている。 |
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